こんな話  2018年7月20日|金曜日

JOMON JAPAN

JJについて

世の中には、2種類の人がいる。

縄文人と、縄文人以外とに。

 

私は縄文時代に興味を持つ人のことを現代の縄文人であると言いたい。

岡本太郎氏やでんじろう先生はまちがいなく縄文人である。

いとうせいこう氏、ラーメンズ片桐氏、井浦新氏をはじめ各界に縄文人はいる。

 

私にとって縄文人とは、精神的なイメージも合わせてリスペクトする存在である。

何なら精神的な意味での縄文人として自分は生きたいとさえ思う。

あくまで精神的にだが。

 

なぜこれほどまでに縄文人をリスペクトするのか。

この場を借りて、縄文人の偉大さを吐露したい。

 

ちなみに私は、Jomon Japan のことをJJと呼んでいる。

 

自然との共生

縄文人は自由である。

稲作伝来より前の日本に居たから、稲作という土地に縛られる生活を持たなかった。

だから階級もなく、闘争もなく、平和に暮らしていた。とにかく遺跡から闘争の痕跡がないのだ。

土地を持つ、という概念がない。

そして自然とともに生きた。

 

 

狩り、狩猟、採集によるため、四季の変化に敏感だった。

季節の移り変わり目は死活問題である。

この季節なら、この道にウサギが現れるとか、この季節なら、この木に実がなるとか。

だから太陽の通り道をしっかり測量した。

春分、秋分、夏至、冬至。

さらに細分化した季節を把握して、子孫が分かるようにストーンサークルを作った。

イギリスの世界遺産のストーンヘンジよりも規模は小さいが、同じようなものは日本各地にある。

その精巧さはイギリス以上である。

 

夜は満天の星空を見上げて天文学を発達させた。

字はなかったが、絵やサインは各地に残している。

 

貝塚には、ホタテ、アワビ、カキ、ハマグリなどが出土している。

高級食材をこれでもかと食い散らかしている。

もちろん天然物、とれたてのイキのいいプリプリの食材を旬ごとに食べている。

おそらく1年の中で海や川にいつ入れば何が取れるか分かっていたに違いない。

だから、年間スケジュールで各季節ごとに順番に、旬となるものを獲って食べることができた。

つまり、あらかじめ最高級食材を出す料理店をすべて予約していて、毎日食べ歩いているグルメと同じように縄文人は食べているわけだ。

           

 

 

ヒスイと交易

新潟県糸魚川流域でしか取れないヒスイが北海道をはじめ、日本各地の縄文遺跡で発見されている。

ということは日本沿岸の航路が確実にあったということだ。

交易網は日本沿岸のみならず北海道、沖縄に及ぶ。

まさに今の日本の版図全域に縄文人の足跡はある。

北海道の縄文人たちは、青森との間の津軽海峡を、「塩味のする大きな川」と思っていて自由に船で往来していたようだ。

 

 

計算の概念もあったし、測量の技術も発達していた。

ことによると閏年まで正確に把握していたようだ。

おそらく何世代にも渡って長い年月をかけて測量をしていたらしい。

気の長い時を経て。

 

三内丸山遺跡と日本の源流

青森県の三内丸山遺跡では、ある尺の倍数を基本に丸太を組んでいる。

それは手首から肘までの腕の長さを基本としていたらしい。

 

竪穴住居は囲炉裏を作ることで、柱をいぶし、柱を丈夫にしたり、空気の循環を寒暖に合わせて調節できるようにしていた。

これは江戸時代までずっと営まれてきたわらぶき屋根の仕組みと同じである。

 

 

竪穴住居では玄関は南向きである。北側には先祖をおまつりした。

東西南北の概念が太陽の通り道を基本として、宗教的な意味まで高めているし、それは日本人の無意識にまで支配している。

 

お墓は最大限の尊厳をもって作られた。

特に子どもの死亡率は高く、成人になれる割合は低かったので、丁重に葬られた。

死者への尊厳や「あの世」への畏敬の念は計り知れない。

 

 

 

岩陰 巨石 巨木

最初は洞窟のような所に住んでいたと思われる。

ここから巨石信仰が生まれている。

北海道の小樽近郊のフゴッペ洞窟の岩には、「翼をもった人」が石に刻まれて描かれている。

これはイマジネーションなのか、本当に翼を持った人がいたのか、未だ謎である。

無数に刻まれた絵には、船のようなものもある。

フランスのラスコー遺跡やエジプトの象形文字にも匹敵するすばらしい芸術作品である。

 

 

 

巨石信仰から巨木信仰に移っていった。

縄文文化が本州でも最後まであったとされる諏訪地方には、今も巨木信仰がある。

 

縄文時代は1万年以上、日本独自に発展した。

弥生から現代までの時間より、はるか長い時間である。

真に日本文化というのは縄文文化をおいて他にあるまい。

 

 

2020年 世界遺産登録への動き

 

 

2020年は東京五輪だけの年ではない。

今、北海道と東北が共同で縄文遺跡を世界遺産に登録してもらうように2020年を目指して働きかけをしている。

〝JOMON JAPAN〟というキーワードでも世界にアピールしている。

JAPANは漆文化という意味も含んでいる。

漆文化は日本文化でも最深部のジャパンオリジナルである。

 

漆を作り出したのも縄文人である。

赤茶色の漆の跡が残った縄文土器は各地から出土している。

漆こそ日本文化の神髄である。

 

私は世界の四大文明に匹敵するくらい縄文文化は偉大なものだと思っている。

日本は国をあげて縄文をアピールすべきだ。

 

日本の観光資源の切り札 インバウンドの真打ちとしての縄文

2020年に世界遺産に登録されたら、世界中の人々は巡礼者のように、日本の縄文遺跡めぐりをすると思う。

北海道と東北が今のところ中心になってはいるものの、日本各地の縄文遺跡はその動きの流れに乗った方が良い。

自然との調和を重んじた縄文人のスピリットは世界中の人々を魅了するだろう。

これまでの世界遺産とはけた違いの存在だ。なんせ日本各地の遺跡がまんま観光資源になりうるからである。

 

縄文遺跡を持っている町や村は早急にインフラを整備すべきだ。

近くの自治体同士で連携して遺跡巡りができるよう観光ルートを作る。

遺跡があるところは、へんな看板を出したりしてはいけない。

周辺の電柱は地下に埋める。

説明の案内板はデザインを統一する。

 

まちがっても近くに駐車場を整備してはならない。

大型バスの駐車場などは遠くに準備し、車いすなどの特別事情の駐車場のみ近くに作る。

縄文時代とかわらない原風景をとどめておくべきである。

そして、しっかりと街ぐるみで大切に遺跡や土器の展示の仕方をデザインすべきだ。

 

もちろん縄文グッズや縄文のお菓子もしっかり作り込んだ方が良い。

高くてもしっかり記念に残る本物を売るべきである。

縄文の体験コーナーも本格的なものの方が良い。

漆づくりや土器づくりの体験コーナーは今もあるが、子ども向けなのが否めない。

成熟した大人、世界中のありとあらゆるミュージアムを行き尽くした旅の達人すらも感動できるような、体験が必要である。

小手先のものでは世界を相手にできない。

 

自然との調和という観点から、いろいろ発展させれば納得のいく体験を演出できる。

スタッフも縄文文化とその地域をしっかりリスペクトしている人を採用する。

もっと各地の縄文遺跡を世界にアピールしていけば、すごい観光資源になると思う。

 

 

課題は飲食と物販コーナー

その点、青森の三内丸山遺跡の見せ方は素晴らしい。

あのレベルであれば外国人は納得する。

三内丸山のスタッフは本当にすばらしい。

青森弁ですごく丁寧に解説をするし、何よりも縄文文化と青森という土地に敬意と愛着があるということが伝わってくる。

 

ただ、レストランはもっとセンス良くすべきだと思う。

縄文にまつわる料理についてはもっともっと追求すべきだ。

もっと縄文を深く掘り下げれば、アイスクリームひとつとっても感動にまで持っていける。

 

また「合掌土偶」を展示している青森県八戸市の是川遺跡の博物館は非常に洗練されたトータルデザインで展示している。

世界レベルの展示の仕方を心得ている。

黒と漆の赤を基調とした、とてもシックなデザインである。

課題点は、やはり飲食スペースとお土産コーナーだ。

せっかく展示デザインが高レベルでも、このスペースは他と比べて普通レベルになってしまっている。

これらは展示を見終わった後に回る所だけに、最後の印象が普通になってしまう。

これでは興ざめである。

観光資源としても、観光客の購買意識を刺激するようなレベルの高いものを提供すべきだ。

 

 

 

東京国立博物館 縄文展 今夏開催中

 

 

 

この夏、東京国立博物館にて縄文文化の国宝6点が一堂に会し展示される。

これはまたとない機会である。

私に言わせれば、縄文の紅白歌合戦である。

ちなみに8月に入ったら私も行くつもりでいる。

ぜひ、機会があれば子どもたちにも見てもらいたい。

 

 

 

縄文再発見

この縄文ブームというべき流れは今後さらに本格化して大きくなると思う。

「縄文にハマる人々」という映画も作られている。

しかし、この「縄文」はそんじょそこらでは消費しつくされないくらいの代物だ。現代人が縄文を捉えるにはデカすぎる。

 

縄文文化の数々の遺跡、土偶、土器などは、現代人があれこれ解釈してもそんな現代人の講釈などは拒否する。

現代人の感覚で縄文を捉えようとしても、無理だ。

縄文の方が、それを超越した存在として燦然と輝いているからである。

ハナから現代人の姑息な感性を拒否して、意味づけを嫌い、現代人の枠にはめられることはない。

縄文はすでに他者の評価を受け付けない。

そこにある、としか言いようがない。

縄文人は答えない。

 

だから、国宝の「合掌土偶」にしても、現代人は合掌して拝んでいるんだと感動しても、本当にそうなのか誰にも分らない。

拝んでいるかもしれないし、または別の意味があるかもしれない。

 

 

これは「考える人」と呼ばれる土偶である。

ロダンの「考える人」よりも1万年早い。

 

しかし、本当に考えているのだろうか。

歯が痛いのかもしれない。

何だか、現代人が考えることなど、あざ笑うかのようだ。

現代人はとかく意味を考えすぎる。

 

縄文人は文字を残していない。

でも高度な言語を操っていたかもしれない。

頭脳の容積は現代人とほとんど変わらない。

だから思考は現代人と同じだったと思ってもいい。

誰が現代人より思考が劣っていたと言えようか。

もしかすると、四季を感じ、手や足を十分に使っていたから、感性は研ぎ澄まされていたかもしれない。

視力は今よりいいし、耳は遠くの獣の足音も捉えていたし、寒さ暑さをしのぐための方法を常に考えていたから、思考力は最大限使っていたかもしれない。

だから想像力も広がる。

他者と争ったりすることが死活的に無駄だと分かっていて、高度に平和的な暮らしを志向したかもしれない。

思いやりが社会を救うことを肌で感じていたかもしれない。

 

 

今の歴史教科書は縄文時代をもっと強調して書くべきである。

これでは縄文と弥生が同列に扱われてしまっている。

国も縄文をもっと高く評価すべきである。

岡本太郎は自らの感性によって、縄文の偉大さを知っていた。

 

これからますます縄文は輝くだろう。

日本が何かを見失うたびに、縄文を再発見すれば良い。

 

縄文人はあなたの心に知らず知らず入り込むだろう。

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