こんな話  2024年9月13日|金曜日

高知県 高知市立自由民権記念館を訪ねて

高知市立自由民権記念館を訪れました。

 

板垣退助(1837-1919)たちが政府に提出した「民撰議院設立建白書」(1874年・明治7年)から150周年です。

主に、高知県出身の自由民権運動の歴史や、自由民権家たちの足跡を分かりやすく学ぶことができました。

 

自由は土佐の山間より

 

板垣退助のもとで自由民権運動を促進した植木枝盛(1857-1892)の言葉ですが、政府や官僚、エリートから自由が与えられるものではなく、庶民・大衆から自由や民主主義が沸き起こるということを一言で言い表した言葉と言えます。

ミニシアターで3本の映画が上映されておりすべて視聴した後、展示を観覧。

高知市では明治初頭より自由民権運動のための学校もいくつか作られました。

その中でも最大の学校が「立志学舎」でしたが、そこの試験問題がこちらです。

 

今の中学生から高校1年生くらいの生徒が解く問題ですが、今の試験とは大きく違います。

 

自由民権運動は政府からの弾圧との戦いでもありました。

民権運動派の新聞発行が政府から停止されると、「新聞の葬式」という広告を出していました。

なかなか風刺が効いています。

自由民権運動は女性にも広がっていて、女性運動家も多く輩出しています。

 

植木枝盛が作った憲法草案は興味深いです。

まだ大日本帝国憲法(明治憲法)ができる前ですが、すでに現在の日本国憲法に通ずる内容が示されています。

上段が土佐の立志社の植木枝盛の憲法草案です。

同じ高知県出身の中江兆民(1847-1901)がルソーの著書を翻訳したり思想を紹介していたので、民権活動家はフランス革命の思想も受け継いでいます。

植木の草案で有名なのが、政府に対して人民は「抵抗権」を有するとしたものです。

 

まだ憲法を持たなかった頃の明治の人たちの新しい国作りの真摯な気持ちに触れました。

自由党副総理の中島信行(1846-1899)の言葉で、民権家に好まれた言葉。

 

自由の棲む所、是れ吾が郷

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