塾の日記  2020年1月30日|木曜日

空き缶のポイ捨てを止めるための終わりなき攻防戦 終結宣言

 

空き缶のポイ捨てを止めるための終わりなき攻防戦

2018年6月1日 記

 

毎日、教養堂の花壇に空き缶のポイ捨てをしていく「缶コーヒーのBOSS・地中海ブレンド」氏。

一旦、停戦したものの、実はその後も空き缶のポイ捨ては続いていたのです。

平成から令和になっても、消費税が8%から10%になっても、変わらず捨てられていました。

 

 

あれから1年半。

ほぼ毎日のように同じ場所、教養堂の花壇の檸檬の木の根元に捨ててありました。

 

なぜ、人は飲んだ後の空き缶を、なんの良心の呵責もなく天下の道端に捨てる事ができるのでありましょうか。

打ち捨てられた空き缶は、その後どうなるのでしょう。

誰かが拾って始末していることを、想像しないのでしょうか。

この1年半の空き缶を集めたら、貝塚ならぬ「空き缶塚」ができるというのに。

 

ですから、「空き缶は捨てないで」という立て札や貼り紙は作らず、とにかく毎日毎日拾うことにしました。

無言の抵抗を選択したのです。

 

We shall overcome.

 

空缶とは

そもそも缶とは。

「カン」は本来は「罐」という字で、「缶」は日本独自の略字。元の漢字「罐」は水を入れる容器から、水を沸かす容器に広がり、「薬缶」(やかん)のように使われました。

明治にオランダ語「kan」、英語「can」 の音にこの字をなかば強引に当てはめて生まれました。

 

缶のフタは以前、独立していたプルタブ式で、これも問題でした。空き缶のみならず、フタも細かく散乱して手をケガすることもありました。

1980年代から、現在のようなステイ・オン・タブという缶から外れない方式になりました。

 

中身が空の缶のうち、中身を詰める前の缶を、「空缶」(くうかん)。

使用済みの缶は、「空缶」(あきかん)というそうです。

 

「空」(くう)が使用前。

「空」(あき)が使用後。

 

空気を詰めた缶

今は昔、思い起こせば「平成」の時代の「空気」を入れた「缶」を、

「令和」になる狭間に、¥1,080で売り出したらたいそう売れたそうな。

おまけに消費税8%の税込みだったという。

令和のこの時代では、空気に軽減税率は適用になるのかならないのか、さだかではありませぬ。

 

 

BOSSの大冒険

くだんの「缶コーヒーのBOSS・地中海ブレンド」氏。

その間に彼は、

「地中海」からフランスに上陸して、

「カフェ・オレ」になり、

 

そして、大西洋航路に乗り、カリブ海を越えました。

ようやく中米グアテマラに着き、

「レインボーマウンテン」になりました。

 

 

 

さらに、エルドラドを求めて、西海岸のゴールドラッシュに参加。

メーカーも変わり、ついに「金」の微糖に行き着きました。

 

もう少しで太平洋を渡り、黄金の国ジパングに着くところでした。

 

 

捨てられているものを拾いながら、自分の執着を捨てる。

あれからずっとほぼ毎日、教養堂を開ける前に、一本の空き缶を拾うのが日課となりました。

晴れの日も、雨の日も、雪の日も、夏の暑い日も、冬の寒い日も、枯葉舞い散る秋の日も、サツキが咲きほころぶ春の日も。

無言で拾い続けて、1年半。

 

私の中で、これは終わりのない禅の修行であり、執着する心を捨てる訓練だと思われた頃。

これは善でも悪でもなく、ただそこに拾うべきものがあるので拾うだけという、意味を問うこと自体が無意味な、息を吐いて吸うのと同じような無為自然の行いになりかけた頃。

息を吸ってから吐くのではなく、息を吐いてから吸うようなことになった頃。

 

今から一週間ほど前。

二十四節季でいうところの今年の「大寒」あたり。

その日は小春日和。

 

 

All farewells should be sudden,when forever.

-Lord Byron.

 

”別れはいつでも突然に”

バイロン

 

 

それはやってきました。

恐ろしく静かに。

 

いつもそこに「ある」はずの、空き缶がなかったのです。

「ない」という状態が「あった」のです。

 

 

 

終結宣言

私はここで、空き缶ポイ捨て攻防戦の幕をしずかに下ろすことしました。

ただしこれは「勝利宣言」ではなく、「終結宣言」です。

 

「大寒」からまもなく節分を迎えると、「立春」。

 

春の東風が吹く頃でしょう。

なぜポイ捨ては世の中でなくならないのでしょうか。

友よ、答えは風に舞っている。

 

缶。

 

もとい、

 

完。

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