こんな話 2024年11月15日|金曜日
漱石山房記念館を訪ねて ~夏目漱石の書斎~
この秋に小学校や中学校の教科書に登場する作品の作家の足跡を訪ねました。
東京ではまず、夏目漱石と森鴎外。
漱石は早稲田界隈。鷗外は神楽坂付近。
まず訪れたのが「漱石山房記念館」
夏目漱石が亡くなるまでの9年間を過ごした「漱石山房」という名の家の跡地に、現在は新宿区立の記念館があります。
ちょうど弟子の小宮豊隆の特別展示もありました。
小説『三四郎』のモデルになった人と言われています。
たしかに熊本出身で、「ぽい」です。
なんだか自分の事がかいてあるやうな氣がする。
という感想のキャッチフレーズが面白いです。
評論家の西部邁が漱石を評してこんな事を書いていたのが印象深いです。
学生運動に疲れて、一時精神のバランスを崩した時、夏目漱石の小説を貪るように読んだ。
漱石によって精神のバランスが保たれた。
日本人にとって漱石を読むということはそのような作用がある。
そんな文章を読んだ記憶があります。
現代の日本語を形作った漱石の口語体。
物を考える時、思考するときに頭に浮かぶのが日本語なら、漱石・鷗外の文体の影響下にあると言っても過言ではないでしょう。
岩波書店から出ている「漱石全集」。
20代のころ毎月2冊ずつ書店に届いて、その都度取りに行っていました。
第1回配本は「吾輩は猫である」
旧仮名遣いですが、それがまた味があっていいものです。
「三四郎」や「こころ」など名作が続き、だんだんとマニアックな特集に。
別冊で弟子や知人が語る漱石の思い出話も得難い資料となりました。
そこで、私は今の自分の指導理念の根幹になっている、
漱石の東京帝大での英語の講義「デリカシー」という単語の説明の逸話を知ることになるのです。
言葉とは何か、概念とは何かを教えられました。
それが今も指導する際の心構えの一つになっています。
全集も最後の方の配本では「俳句集」や英語で書かれた「評論集」、はては文部省時代の教育評論など、漱石が書いたすべてが全集に収められていました。
全部揃えないと意味がないのが全集。
これは苦行にも似た忍耐力が試されます。
何年間かそれを続けてようやく配本が完結した時はほっとしました。
漱石山房記念館から本郷へ。
根津神社でお参りして、上野を横目に湯島、神田須田町へ出て、さらにまっつぐ歩いて日本橋まで。
日本橋の丸善本店で一服。
そこで、万年筆のインクを一瓶購入。
このインクは丸善のアテナインキの復刻版。
色はセピア。
夏目漱石が愛したインクです。
秋にぴったりのインクの色です。
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