こんな話 2020年11月1日|日曜日
愛知県一宮市 旧一宮商工会議所を訪ねて 尾州-BISHU- 国産羊毛の復活
テーラーの黒木さんのお招きで、愛知県一宮市の旧一宮商工会議所を訪れました。
JR尾張一宮駅から歩いて徒歩2分の場所にあります。
1933年の建築です。
地上3階・地下1階ボイラー室・屋上つき。
当時としては、尾張地方でも数少ない立派なビルです。
一宮市も昭和20年に何度も空襲に遭って、一面焼け野原になっています。
この建物は残りました。
あと10年もすれば1世紀にわたりこの地に建っていることになります。
現在は一宮商工会議所が新たに移転したのに伴い、建物をそのまま現役保存して新しくせんい関係のビルになっています。
では、中に入ってみましょう。
重厚な造りです。
天井も高く開放感があります。
1933年というと、満洲国建国ののちに日本が国際連盟脱退をした年ですね。
この建物で映画のロケができそうです。
アール・デコ風あり、ゴシック風あり。
今でもモダーンであり続けています。
特別に屋上も見学しました。
真清田神社ゆかりの小さな神社もあります。
せんいに関する神様です。
さすが一宮の商工会議所。
今でも一宮駅をはじめ濃尾平野が見渡せます。
戦前だったら、名古屋城や小牧山、犬山城、木曽川や養老山系も見えたことでしょう。
一宮を中心に愛知県尾張北西部、そして岐阜県南部を含めた木曽川沿いのこの地は、せんいの一大生産地でした。
ところが高度経済成長期から、化学繊維の台頭、さらに日本の物価高騰を受け、バブル時代前後に、せんい関係は中国などアジアに工場の拠点が移り、空洞化しました。
この辺りでよく見られたギザギザの屋根の工場も最近は見られなくなりました。
私が塾講師駆け出しの頃までは、中学の地理教科書には、中京工業地帯の説明では「一宮・岐阜」は「せんい産業」として必ず教えていたものです。
現行の教科書では惜しくもその記述はなくなっています。
しかし今、かつてのせんいの地、「尾州」を復活させようとする動きが出ています。
「尾州」というのは、「尾張」という昔の藩の名前だけではなく、この地で生産されるせんい全般を指すのだそうです。
「尾州」のブランドは日本だけでなく世界に誇る高品質のせんいを意味します。
現在は改装して新しくなり、「リテイル Re-TAiL」という名前になりました。
せんいのまち一宮にふさわしく、地元せんい関係の会社やお店がこの3階建てのビルに入っており、せんいの情報発信地ともなっています。
「retail」は英単語で、小売りという意味があります。
さらに尾張の「尾」をもじって、「尾州」復活という意味が込められているようです。
最近は「尾州」のロゴマークタグをせんい製品につけてアピールする動きもあります。
「尾」の中のつくりは「毛」ですね。
また部首の「尸」(しかばね)は、裁ちバサミの刃、もしくは横にするとノコギリ屋根の工場をイメージします。
さて、黒木さんには新たなせんいの動きも教えていただきました。
かつて、羊毛(ウール)は国産でしたが、今はほぼ海外からの輸入に頼っています。
これは地理の教科書にもお馴染みです。
特にニュージーランドが有名ですね。
昭和30年代には羊毛に使われる国産羊は100万頭いました。
その後10年で2万頭に減りました。
下は貴重な、国産羊毛の時代の写真。
日本国内では、まだかろうじて羊の牧場が北海道や本州にあるのだそうです。
愛知県にもわずかながらにあります。
ただ、今は羊はほぼ羊肉として、たとえばジンギスカン用など肉として出荷されるぐらいで、羊毛は用途がなく廃棄されるのだそうです。
これはもったいない!
ということで、このビルにも入っている老舗テーラー会社(国島株式会社)が、羊毛を活用した、純国産の羊毛で織ったスーツを売り出すことにしたそうです。
「持続可能な社会」を目指す動きの一環でもあるようです。
黒木さんいわく、利益度外視の純粋に国産羊毛復活のための動きだそうです。
左上にあるのが国産の羊から刈り取ったばかりのウールです。
それが右のような生地になります。
触ってみたら、これがしっかり厚みがあります。
重さにして通常の2倍以上です。
真冬でもコート入らずで、保温性抜群。
黒木さんによると、
「一生着られますね。」
とのこと。
これでだいたい、羊1頭から3頭分だそうです。
誤差があるのは、刈りとった羊毛に草や土がついている場合は取り除かれるからだそうです。
今後は生産性を上げるため、羊の飼育にも工夫をするとのこと。
「尾州」の生産地は、愛知県一宮市、稲沢市、津島市、愛西市、江南市、名古屋市、さらに岐阜県岐阜市、羽島市、各務原市、羽島郡など木曽川流域にまたがり、「尾州」はこの地域全体で生産されるせんい製品を指します。
地理では、まず「地形」そして「気候」を習います。
その後、「農業」「工業」や「産業」を習います。
「地形」や「気候」は密接にその土地の産業と結びついていることを学びます。
なぜ、この地域でせんい産業が盛んになったのでしょうか。
それは木曽川の恩恵によるものなのです。
木曽川が伊勢湾に注ぐこの一帯は大きな扇状地になりました。
水はけがよい扇状地には、桑畑(養蚕)や綿花畑(綿糸)に最適でした。
また、染料に適した木曽川の軟水も欠かせませんでした。
この土地が、幕末から明治にかけて日本の生糸の輸出を支える一大生産地となる土壌となりました。
その時に活躍したのが「尾州商人」と呼ばれる人たちでした。
「尾州商人」たちは、格上の織田信長以来の「名古屋商人」とも違いました。
幕末、明治期に「尾州商人」は決して表舞台には立ちませんでしたが大活躍をします。
実はここ教養堂がある江南市も、「尾州商人」たちが深く関係しているのです。
教科書で習うことは、単なる辞書的な無味乾燥な事で、
現在の自分には関係しない事ばかり……
ではないのですね。
自分の半径3m、そして半径3km、10kmと徐々に広げて定点観測すれば、ローカルからグローバルへ、過去から現在未来へ、個人的なことから普遍的なことへとつながっていく事がわかるでしょう。
塾生にもっともっと話してあげたいことばかりです。
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