こんな話  2019年1月22日|火曜日

室町幕府第6代将軍 足利義教

教養堂では授業の一環として、歴史上の人物を取り上げて、その人物の色々な面から学んで行くプログラムを考えています。

今、準備段階として取り上げる人物のリサーチをしております。当然ステレオタイプではなく、通例の解釈とは違う見方、別の角度からの紹介もすることで、思考の幅を広げることが目的です。

候補となる人物はたくさんあり、絞り込みも楽しい作業です。本や資料を参考にした上で、私の解釈を入れて授業を組み立てます。

 

私は、歴史上の人物の解釈は、現代人が持つ専権事項だと思います。過去にどれだけ評価が高くとも、どんなに評価が低くとも、現在どう解釈されるかで決まると思います。そしてそれは現代を写す鏡でもあります。

悪役とされてきた人物にも学ぶべき点がたくさんあります。

 

 

1月22日(火) NHKの歴史番組 Eテレ「知恵泉」では、何と室町幕府 第6代将軍 足利義教が取り上げられました。

非常に感慨深いです。

ここ数年、歴史上、悪役とされてきた人物が、次々と復権を果たしてます。

これはひょっとすると現代の価値観が従来とは変化している兆候かもしれません。

 

思えば「石田三成」を、NHK 大河ドラマ「真田丸」では山本耕史が演じ、映画「関ケ原」では岡田准一が演じていましたが、比較的好意的に描かれていました。

中間管理職の立ち居振る舞いのようなものが共感を覚えたのではないでしょうか。

これまで石田三成と言えば、敗軍の将、時代を読み切れなかった官僚型の武将とされてきました。

 

以前、中1の歴史好きな女の子を教えていましたが、誰が好きか、と聞きましたら、彼女は石田三成が好きだと言っていました。

理由を聞くと、最期まで忠義を通したからということでした。

 

来年の大河ドラマではすでに、長谷川博己 主演の明智光秀が決まっています。

光秀は主君 織田信長を本能寺で倒した下剋上を代表する人物で、しかも三日天下で終わったので、悪役の烙印を押されてきました。

短絡的で感情的な武将など、イメージはとことん悪かったのですが、よもや大河ドラマの主人公になるとは、時代も変わるものです。

おそらく明智光秀の評価は、彼の死後450年、現在が過去最高でしょう。

 

さて、そんな歴史上の人物でも、室町幕府第6代将軍 足利義教についてはとことんイメージが悪く、もはや救いようのない人物として、語ることすら憚れてきました。

 

例えば、日本の歴史上、最悪の将軍だとか、万人恐怖の独裁政治、果ては天魔王などと言われ、やれサイコパスだとか、くじ引きで選ばれた負い目からのコンプレックスだとか、サディスティックな邪知暴虐の将軍など、全く評価がなされていなかったのです。日本の歴史上最悪の権力者として負のイメージを背負ってきました。

 

しかし、それは将軍の周辺にいた既得権益にしがみつく守旧派が評価した言説のみが、現代に残っているだけかもしれません。

事実だけ積み重ねると、実績は武家の中でもトップクラスなのです。

おそらく、豊臣秀吉、徳川家康以上の戦略家です。

 

室町幕府 第6代将軍 足利義教

 

第3代 足利義満の次男に生まれましたが、将軍の跡継ぎとは思われていなかったので、すぐ比叡山延暦寺に入ります。

優秀だったため、比叡山トップの天台座主に上り詰めます。

義満の死後、さらに義持、義量と相次ぎなくなりました。

困ったことには、後継者を言わずに亡くなったので、次の将軍はどうするか、ということになりました。

 

採られた方法が、なんと石清水八幡宮にての、くじ引き。

そして選ばれたのが、足利義教なのです。

くじ将軍と揶揄される由縁です。

 

神によって選ばれた将軍である、とすることであらゆる干渉を除く高度な政治的デモンストレーションと見る見方ができます。

 

そして将軍就任後に行った、義教の恐怖政治は、裏を返せば、幕府の権威失墜を必死に取り返すための、秩序の回復と捉えられます。

 

将軍になって行ったことは枚挙に暇がありません。

 

南朝の殲滅

九州平定

関東平定

鎌倉公方 足利持氏を滅す

管領家の家督争いに介入

奉公衆を揃えて実力行使

将軍自ら裁判をする御前沙汰によって管領を牽制

時衆による全国的な情報収集

比叡山兵糧攻め

勘合貿易再開

世阿弥 追放

 

また、権威づけのためのプロモーションも積極的で、

富士山遊覧、東大寺の蘭奢待切りなども行なっています。

 

最後は、赤松満祐の下剋上により首を刎ねられて、あっけなく終わりました。

義教が確立した秩序が、一気に崩れ、応仁の乱から戦国時代に突入しました。

 

足利義教のすごいところは、将軍の権威を自分ただ一人に掌握したところです。そして征夷大将軍の職として、なんら私的な思惑を入れず、実行に移しました。

 

よく自分の側近には甘い汁を吸わせ、一部の取り巻きとの相互依存の関係を保ち、イエスマンに囲まれ、結局は裸の王様になってしまう残念なリーダーが多いのですが、義教は違いました。

 

少しでも将軍の権威を借りて私的に便宜を図ったりすれば、親類縁者、管領や守護大名でも、厳罰にされています。

妻の実家の日野家でさえも、不穏な兆候があれば大弾圧を加えているのです。

 

足利義教は征夷大将軍の権力は、自分ただ一人とし、他は優劣を決めず全てフラットにしたのです。

秩序を立て直す、ということはそれまでの枠組みの外から超人的な感覚で行う必要があったのです。

 

足利義教については、見方によって全く違う評価がなされる人物なのです。

 

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