勉強の話  2017年11月27日|月曜日

国語 思考を伸ばすには国語のバージョンアップを

教養堂では、保護者様への案内文については特に気をつけるようにしております。やはり、塾からの発信であるご案内文書に失礼があってはいけませんし、子どもたちの模範となるような文章でなければいけないと考えているからです。

入塾資料や案内文の作成を少しずつ書き始めています。

ちなみにある作家のある作品の文体をベースに作っております。

 

ホームページを含めて、文章の基本は、口語敬体文であり、丁寧で失礼がなく、柔らかい文章を心がけております。

なお、当ホームページのブログの「こんな話」と「本の紹介」については表現形態を変えて、より直接的に表現したいと考え、常体「だ、である」調にしております。

 

一般の方や保護者様が目にすることがおおい文章については、ベースになるのは芥川龍之介か宮沢賢治の児童文学作品に行き当たりました。

これらの文体は、いわゆる東京山の手言葉が源流で、新しい口語敬体を確立しようと目指した鈴木三重吉らの運動に影響があります。鈴木三重吉も芥川と同じく夏目漱石の門下生です。

それに、私の文章感覚がこれらの作品の文体でできていたとも言えるでしょう。

 

日本語を母国語とする人は、必然的に日本語を駆使して頭の中で思考するのですが、ここでの言語感覚というものは、幼少期に触れた作品からと仮定できます。

もちろん、生活している以上、さまざまな文章に触れますので、その都度上書き保存されていき、その人の言語感覚が広がっていくのでしょう。

 

私は、本を読んだりするというのは、パソコンのOSのバージョンアップに似ていると捉えます。

言語処理能力が大きいと、それだけ、深く思考できるのです。

逆にバージョンアップされていないコンピューターは高度な内容の仕事には時間がかかったり、時にはフリーズしてしまいますね。

 

近未来に、ある人が使う会話やメールの文章をコンピューターにかけるだけで、その人がこれまで触れてきた本や文章、作家の影響がまたたく間に分かってしまう、そんなことも可能になるかもしれません。

だから、ある入試問題を完全理解して正解に至るためには、これとあれとそれを読めば満点できる、と、まるでコンピューターが将棋の手を攻略するように分析できるでしょう。

 

ずいぶん前になりますが、宮沢賢治特集のTV番組で、芸術家、とくに作詞家や映画監督、アニメ演出家、ミュージシャン、作家などが出てきて、いかに宮沢賢治の作品からインスピレーションをもらったか、を語りつくすというものを見たことがあります。

これなどの例は、言語だけでなく、芸術分野の創造でも同じことが言えると示唆しています。

 

現代の日本語は人工的に作られたものです。確立して、たかだか100年でしょう。

教科書に掲載されている不動の、漱石、鴎外、芥川、賢治などの文体が今も有効であるということは、日本語のベースは明治大正でほぼ完結したといっても良いと考えます。

子どもたちには、これらの作品群を10代のうちに血肉化してもらいたいです。

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