勉強の話 2018年9月26日|水曜日
伝説の粟野健次郎教授から学ぶ外国語学習法
伝説の粟野教授
夏目漱石の『三四郎』冒頭部分で、東海道線の汽車に乗っている三四郎、
これから大学に入学するため、熊本から上京する途上である。
車内で風変わりな大学教授風の男と出会う。
静岡あたりで車窓に富士山があらわれた。
三四郎は見上げながら、「日本もますますこれから発展するでしょうね。」と言うと、その男は言下にこう言う。
「滅びるね。」
その広田先生のモデルとされた人の一人が、粟野健次郎教授である。
実際に旧制第一高等中学校で漱石を教えたことがある。
粟野教授(1864-1936)は幕末に現在の岩手県一関市に生まれ、戦前に亡くなられた典型的な明治の人である。
「書を残すのは恥を後世に残すこと」という格言を残していて、著作などがなく、教え子などの伝聞しか漏れ伝わってこない伝説的な先生だ。
出世には目もくれず、最終的に旧制第二高等学校(仙台)の英語教授として生涯を全うした。
そして英語のみならず何か国語もマスターした語学の達人で、森羅万象に通じて博覧強記である。
(東北大学関係写真データベースより転載)
微かな資料を手掛かりに調べてみると、若い頃から正規の教育を受けず、そのほとんどを独学で勉強されたらしい。
明治維新の頃は、東北は旧幕府軍(奥羽越列藩同盟)に組み込まれていたから、薩長を中心とした官軍が攻めてきて敗れている。
立身出世も東北出身は不利だったはずだ。
情報の乏しい明治時代に粟野教授は、どのようにして語学を学んだか?
何と「聖書」からだという。
聖書を使って、日本語訳と英語の原文を照らし合わせて覚える。
聖書を通して英語を学ぶ。
これはすなわちキリスト教についても同時に学ぶことができる。
キリスト教が分かれば、キリスト教文化のみならず、欧米の思想や論理も把握できる。
一番良いテキストである。
しかも開国以来、布教に努めていたキリスト教会だったから、聖書が安価で入手できたというのも、いかにも明治時代らしい。
聖書が分かれば、欧米の文学も分かる。
聖書から引用、オマージュされた比喩や警句、皮肉、たとえが分かるからだ。
そこから、同じ手法でドイツ語やフランス語を学んでいくのだという。
聖書は全世界の言葉に翻訳されているから、容易に入手することができる。
同じ文句を英語とドイツ語で比較すれば違いがわかる。そのようにして多言語をマスターしたのだという。
原典がほしい
英語の学習法についてはもう百家争鳴で、下手に書けない。
それぞれ一家言をお持ちの方それぞれ主張されている。
もし、英語を全く初歩から学ぶとしたら、この粟野教授の学習法をぜひ試してみたい。
さりとて、なかなか聖書は文章量も多いので気軽には始められそうもない。
中学校や高等学校で使われているリーディングの教科書は、とってつけたような会話文や、プレゼンテーションに使える内容、または簡単な説明文、評論文などが多い。
中には秀逸な文章もなくはないが、全体的に知的な感じがしない。
私は原典主義をとりたい。
授業用に作られた安全かつ無味乾燥な文より、英語の文学作品や散文詩などをそのままテキストにしたい。
そうすれば、音読にしても、本物の詩を暗唱することに意義がある。
すぐ忘れ去られる内容ではなく、肚にズシンとおさまる教養溢れる英語の方が良い。
逆に言えば、たとえば「枕草子」や「奥の細道」、「こころ」などに通じている外国人がいたら、我々は襟を正すことだろう。
最後に、東北出身の学者と言えば、もう一人、会津出身の山川健次郎博士がいる。
私は尊敬を込めて、お二人合わせて、「Wケンジロウ」と呼んでいる。
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