こんな話  2024年7月21日|日曜日

中2国語 那須与一を訪ねて 前編 「扇の的~平家物語~」から

扇の的を射る、那須与一像。

栃木県大田原市 那須与一ゆかりの地にて。

平家物語の一節 「扇の的」に登場する若武者、那須与一ゆかりの地を訪ねました。

まずは前編として、与一の生まれ故郷、那須の訪問記です。

 

栃木県の県庁所在地 宇都宮から車で1時間半。

水田地帯を抜けると、「那須与一伝承館」があり、隣に「那須神社」があります。

当然、地元の英雄で町おこしにも一役買っています。

 

与一、かぶらを取ってつがひ、よつぴいてひやうど放つ。

小兵といふぢやう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。

 

那須与一伝承館では写真撮影可の所もありましたのでご紹介します。

講談の「扇の的」では、この日の丸を射ると天皇に対して逆賊になるので、あえてそこを外して扇の要を射る、と語られます。

 

「かぶら」(かぶ)に似ていることからついた「鏑矢」。木や鹿の角などで作られました。

 

【那須与一クイズ】

与一は何番目の男子だったのでしょうか?

 

ヒント:すぐ上の兄の名が、十郎為隆(じゅうろうためたか)

 

答え:十あまり一で、十一男。

 

ちなみに長男から九男までが平家方に与し、すぐ上の十郎為隆と与一が源氏方に入りました。

平家方に与した兄たちは当然不遇の身になり、すぐ上の兄も罪があって没落。

那須本家の家督を継いだのは、十一男目の与一でした。

 

源氏方で大活躍した与一は日本全国に荘園の土地を与えられ、それらを兄たちに分け与えたそうです。

最も、扇の的以降、源平合戦に従軍したのちすぐ、数年のうちに亡くなっています。

扇の的の頃が20歳そこそこと言われているので、22、3歳で亡くなっているようです。

 

那須与一伝承館のとなりに那須神社がありましたので、お参りにいきました。

与一が屋島の戦いの後、故郷に帰った折にこの那須神社に刀を奉納したと言われています。

 

後の江戸時代に松尾芭蕉が「奥の細道」の途上で、この神社を訪れています。

 

最後に伝承館となりにある「道の駅」に立ち寄りました。

ご当地キャラ、与一くん人形もあります。

 

さて前編の那須与一の生まれ故郷 栃木県那須の訪問記をお送りいたしました。

後編の屋島の戦いの舞台、四国の高松はまた後ほどお送りいたします。

おたのしみに。

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